インタビュー
坂井森林組合 参事 西川浩一(57歳)
1958年生まれ。あわら市(旧金津町)出身。福井県立短期大学(現・福井県立大学)農学科卒業後、坂井森林組合に入社。
「山で利益を生まなければ」
20代で直面した山林保全の現状。
田んぼの真ん中に生まれ、山や森林とは離れた環境で育ちました。農家に生まれたので、高校卒業後は農学科に進学。しかし、和紙の原料である雁皮(がんぴ)の栽培試験の研究をしたことがきっかけとなり、卒業後は森林組合に入りました。
当初は、森林組合の仕事は「山の保全監視」であり、組合員の相談を行政に伝えることだと思っていました。しかし、入社3〜4年目で経営赤字だと聞かされてびっくり。そこで初めて、山で利益を生み出さなければならないことを知りました。山の手入れという労務を提供し、その管理費が組合事務員の給料となる。営利を目的とはしなくても営利を生む必要のある組織である。それを、ようやく知ったのです。当時、職員は事務のおばさんと先輩、自分の3人のみ。ほかの組合に勉強に出向いて、「植林を進めることで草刈りや伐採などの仕事を得る」という仕組みを学びました。
しかし、それから数年後、先輩が辞めてしまいます。そこで、作業員の人材確保から資金調達にいたるまで、経営面も一人でこなさなければならなくなりました。まだ20代の若造です。「山で利益を生み出す」という意識も低く、山の手入れのことも知らない。全てを一から始めなければならず、試行錯誤の毎日。とにかくチャレンジ、チャレンジの日々でした。
木の良さを生かした活用法の模索。
森林資源を地元で使うことが重要。
この仕事について30余年が経ち、ようやく自分が植林した木が大きく育ったこともあり、木の「生かし方」をじっくり考えるようになりました。この30年間で、住宅資材としての需要は減りました。では、どのように木を使うのか。組合員さんに信頼され、託された山林です。木の良さを生かした使い方を見つけ、その流れを見せることが必要だと思うようになりました。
そこで、さまざまな使い道を模索するようになりました。2001年「WOODリサイクルセンターさかい」操業。2013年にはフクビ化学工業株式会社とともに「ふくいWOODバイオマスセンター」を設立し、間伐材を利用した木質ペレットや新エコ建材の製造など、6次産業に乗り出しました。新しい森林組合のスタイルだと思います。
しかし「この木は遠くの発電所のチップとして使われています」と言葉で説明するだけでいいのか。どのように伐採・加工され、どこで何のために使われているのか。その流れを山の所有者が見えるようにしたい。皆さんの大切な山をお預かりしているのだから。そのためにも、地元で使うべきなのでは?そう思い始めたころ、当プロジェクトと出会ったのです。自分たちだけではアイデアに限界があります。異業種が一緒になることで新しい可能性が生まれると思います。例えば新ボイラー設置の考案など、新しいことを実現できると面白いですね。
山は経営母体。
現代にあった「山の守り方」がある。
植林は約30年ごとに行われます。植林時の組合員さんが、30年後も元気でいるとは限りません。しかし世代交代した時に、山の情報を次世代へ伝える必要があります。一方で、30年単位での山の管理は、民間組織には難しいもの。それを担うのが森林組合です。山を経営母体ととらえ、いかに組合員に還元するか。それを常に考えています。
森林の伐採は良くない。そうおっしゃる方もいます。しかし、組織がしっかりしていれば、山を守ることができます。昔は山を守る仕組みが暮らしに組み込まれていました。けれど、現代にはほとんどありません。現代における山の守り方を模索し実践すること。それが森林組合の役目です。あわら市は、山が身近にある地域ではありません。けれど、だからこそ山の在り方を冷静に見ることができ、そこに公平性が生まれ、地域全体に均一に利益を仕分けることができるのだと思います。
とはいえ、あまりに利益追求に走るのもよくありません。社会貢献したいと感じていたタイミングで、このプロジェクトに出会いました。木を育てる人の苦労や地域の問題が良い方向に進むように、取り組んでいきたいですね。